心を観察していないと
我々は感情や思考を自分自身と考え
一体化してしまうということに
ついて、解説していきます。
(瞑想と俯瞰、客観視の重要性)
心を観察していないと
我々は感情や思考を自分自身と考え
一体化してしまいます。
なぜなら、一般的な人々は、
ハイヤーセルフである観察者が、
眠りこけていることが
多いからです。
観察者が眠りこけていると、
思考や感情に呑み込まれてしまい、
どれが自分か分からなくなって
しまうのです。
そして、思考や感情が
自分自身だと思い込んで
しまいます。
それで感情や思考の荒波に
振り回され苦しむのです。
でも、心を観察すれば、
主体と客体ができます。
観察者こそ本当の自分ですので、
感情や思考の主人となれるのです。
主人が戻ってきたら、
感情や思考はおとなしく
なります。
大切なことは、観察者として、
しっかりと意識を目覚めさせて、
思考や感情の主人となることです。
思考や感情に呑み込まれると、
どんなひどいことが起きてしまうかは、
みなさん経験されていると思います。
思考は、ありとあらゆる
心配や不安を作り出し、
怒りや不平不満を作り出します。
そのような思考に呑み込まれたら、
心配や不安、怒りや不平不満に
巻き込まれて、苦痛にまみれた
人生を歩んでしまうわけです。
また、感情に呑み込まれて
しまいましたら、爆発的な怒りや、
海底に沈みこむような深い悲しみ、
陰鬱さ、嫉妬の炎や、妬みの感情
などに振り回され、苛まされるのです。
ですから、思考や感情を観察し、
ぜひとも、距離を置いて、
客観的に見る必要があります。
なぜ、客観的に思考や感情を
見ることができるかと言いますと、
思考や感情は、本当の自分では
ないからです。
自分とは別のものなので、
客観的に見ることができます。
いずれにしましても、
観察者として意識をしっかりと保ち、
思考や感情を客観的に見守って、
主人となっておく必要がある
ということです。
観察して主人になった状態
である限り、思考や感情に
呑み込まれることはなく、
被害に遭うこともありません。
ちなみに、
瞑想やマインドフルネスは、
何のために行うかと申しますと、
観察者を強化し、しっかりと
思考や感情から離れていられる
ようにするためです。
瞑想やマインドフルネスを
継続すると、観察し続ける力が
ついてきます。
この観察者がしっかりと
常に輝いている状態が、
思考や感情を乗り越えた状態です。
この状態を保つことが、
何よりも大切です。
もし、24時間、観察者が
しっかりと輝いていられたら、
釈迦と同じような、
悟りの境地に至れます。
そして、思考や感情を見守り続け、
観察者が強くなれば、思考や感情は、
もう必要がなくなるので、
消えていきます。
これが、無の境地です。
瞑想やマインドフルネスを継続し、
無の境地に達する事ができたら、
人間を超えて、天使の領域に
入れるのです。
以上、心を観察していないと
我々は感情や思考を自分自身と考え
一体化してしまうというお話でした。