鏡の法則 カルマの法則 因果の法則 人間関係 行動規範

人を裁くのは自分の価値観を他者に押し付ける行為(鏡の法則、カルマの法則、因果の法則)

 

人を裁くのは自分の価値観を

他者に押し付ける行為ということ

について、解説していきます。

(鏡の法則、カルマの法則、因果の法則)

 

人を裁かないように

しましょう。

 

なぜなら、それは、

自分の価値観を他者に

押し付ける行為である

からです。

 

裁くとは、

具体的に申しますと、

自分の価値観に照らし合わせて、

良いか悪いか判断を下すと

いうことです。

 

ですから、裁くって、

とっても上から目線で、

高飛車な行為であることが、

お分かりいただけると

思います。

 

本当の意味で、

良いか悪いかなど、

なかなか判断できません。

 

それなのに、

裁いてしまうのは、実は、

酷い行為であったりします。

 

もちろん、

常識に照らし合わせて、

良い悪いの判断は可能です。

 

しかしながら、

常識が崩壊しつつあり、

各々の独自の常識というものまで

生まれつつある現代社会です。

 

自分には悪と見えても、

相手にとっては正義である事も

多いのです。

 

ですから、善悪を判断して、

人を裁く事が、いかに軽率な事

であるかが、お分かりいただける

と思います。

 

しかも、ここがこの記事の

重要な点なんですが、

鏡の法則やカルマの法則、

因果の法則の作用により、

裁いたら裁いた分、

後で自分も必ず誰かに裁かれる

結果がやってくるという

ことです。

 

なぜなら、それらの根源法則は、

他者に対して行った言動や想念が、

後で必ず自分に跳ね返ってくる

作用を持っているからです。

 

したがいまして、裁いたら裁かれ、

自分自身の首をどんどん締めていく

結果となるということなのです。

 

誰だって裁かれたくないし、

他者の善悪に縛られるのは

我慢がなりません。

 

ですから、

鏡の法則、カルマの法則、

因果の法則の作用を思い出して、

誰も裁かない人生を送るのが、

賢いやり方となるのです。

 

裁かなければ、

裁きのカルマを積まないので、

誰からも裁かれなくなります。

 

そして、誰からも

裁かれない状態は、

すなわち、自由なのです。

 

誰からも裁かれず、

自由に行きたいのであれば、

人を裁くのをやめましょう。

 

裁かない生き方は、実は、

自由をもたらす生き方に、

直接つながっているのです。

 

もし、自分の価値観と

異なる言動をする人がいたら、

「こんな人もいるんだな」と

感心しておればよいのです。

 

人を裁いてしまうと、

根源法則の因果応報作用により、

後で自分も裁かれて

苦しむ事になります。

 

では、毎日、人を裁いている裁判官は、

どうなるのかと疑問を持たれる方も、

いらっしゃるでしょう。

 

裁判官は、法律に照らし合わせて、

人を裁きます。

 

ですから、法律で裁くカルマを

積んでいます。

 

でも、それは仕事であって、

社会を安定させるために

必要なことですので、

悪いカルマにはなりません。

 

しかしながら、

法律で裁くカルマは、

確かに毎日積んでいきますから、

何かあった時は、裁判官の人達も、

法律によって厳格に裁かれます。

 

裁判官は、

法律によって裁くがゆえに、

自分自身も法律にがんじがらめに

されるということです。

 

でも、法律を貴ぶ職業ですから、

自分自身も法律に縛られること

については、特に、つらいとか、

しんどいとは感じないでしょう。

 

逆に、自分が何か悪い事して

しまったら、明確な法の裁きを

受けたいと、常日頃から

考えている方が多いかと

思います。

 

そのため、裁判官が

裁きのカルマを積んでしまっても、

若干、窮屈ではあるものの、

特に問題なく人生は進んでいくと

いうことであります。

 

以上、人を裁くのは

自分の価値観を他者に

押し付ける行為という

お話でした。

 

 

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